雨上がりの森
いろいろと想うところがあって、屋久島の雨をテーマに改めて作品群を纏めてみようと考え、そのために屋久島の雨に挑める水に強いカメラを春先からテストしてきた。
しかし僕なりに機材テストしてみて、やはり屋久島の雨に無条件で挑めるカメラはいまのところ無いという結論に達した。であれば水に強いということに拘ることなく、純粋に屋久島を描くのに適したカメラはどれか?という視点で機材を再評価することにした(これには自分が選択できるという前提がつくのだが)。
結論としていまはα7RIVを考えている。61Mという画素数は最初オーバースペックだと思ったが、実際に撮影に使ってみると61Mだから描ける写真というのがあることに気がついたのだ。その一つが屋久島の森に溢れる霧の表現だ。
カメラがフィルムからデジタルになって僕が一番残念だったのは、森に溢れる霧の表現が貧弱になったことだ。段階的に変化する本当に微妙なグラデーション、アンジュレーション、テクスチャを、データを量子化してしまうデジタルカメラは描けないと考えていた。しかしそんなことは無かった。α7RIVで撮影した61MのデータをMacのRetinaディスプレイに表示させてみると、ライトテーブルの上に置いた6×7のRVPポジをルーペで覗き込んだ時の感覚が蘇ってきたのだ。
勿論これまでも61M相当の撮影が可能なデジタルカメラは存在していたが、それは費用対効果の観点からも僕が導入できる価格帯の機材では無かった。それがようやく手の届く範囲に降りてきたのだ。
これはコダックDCS315が200万円くらいしていた時代に、突然NikonからD1が60万円、CanonからD30が35万円で発売された状況と似ている。僕はいま何回目かのデジカメ変革期の予感がある。
シートフィルムのビューカメラ全盛の時代に、アルフレッド・スティーグリッツがライカを持って街頭スナップというジャンルを確立したように、機材のブレークスルーは新しい表現を生み出すチャンスでもある。
デジタルカメラが大衆化されておよそ20年。この20年の機材の進化というのは凄まじい。そんな時代に写真を撮っていられる幸運を感じながら、もういちど屋久島の森に挑んでみようと思っている。