屋久島ヒトメクリ.(9号)
わたしの大好きな屋久島の風景
第9回:シタンコ
ゲスト:東 瑞葉 さん 1974年鹿児島市生まれ。1999年に屋久島へ移住。日本山岳ガイド協会の資格を目指して勉強中。
島の北東にある空港にも近い小瀬田集落。シタンコはその集落下の海岸を指す呼び名で、釣師たちは海に突き出たある岩礁を特にその名で呼んでいる。そこに立って釣竿を振れば、背後には愛子岳の三角錘が見下ろし、目の前には大隈海峡、右手には種子島がべったりと寝そべっている。どうしてこの場所を選んだのか?の問いに東さんは「こんなに手軽に行けるのに、釣れるときはすごく釣れます」と言って微笑んだ。
東さんは鹿児島市の生まれ。親の転勤について熊本、佐賀に住んだ後、福岡に落ち着き大学へ進んだ。在学中はバックパッキングに明け暮れ、時間に自由の効く学生の特権を利用して、ヨーロッパや中近東を中心に30カ国以上を旅した。卒業後、旅行会社に就職。しかし社会人になると休みがとれない。精一杯の休暇を取って行った先が屋久島だった。そのときシタンコで釣りをし、大物を掛けたが釣り損う。「絶対釣ってやる!」と叫んだところから彼女の屋久島通いが始まり、気がつくと1年後には住んでいた。
最初の3年間はテントで生活しながらバイトと釣りに明け暮れた。そんなとき、呑みに行った先でガイドの仕事を勧められる。「体力ないし、無理です」と断ったが、「いやなれ!」と強く勧められ「屋久島が好きだから、勉強の意味もあって、よかったら教えてください」というところからガイドの修行がスタートした。何社かで修行したあとフリーになり、人柄や話術のうまさも手伝って人気ガイドとなった。これまでに縄文杉には500回以上行き、多くのゲストを案内しながら、気がつくと屋久島暮らしも14年目に突入していた。
そんな彼女が最近取り組んでいることに、日本山岳ガイド協会の登山ガイド資格がある。4年前から始めて年明けの義務講習を終えれば取得できるところまで漕ぎ着けた。屋久島のガイドとして10年やってくるなかで、先に取得した先輩から「ひとつの方法として資格の存在」を教わり、「こんどは自分が後輩に伝えてゆくためにも」目指してきた。しかし、試験や講習は屋久島から遠い場所で行われ、交通費など大きな負担を伴い、彼女自身これまでに50万円以上の費用をかけてきた。
そんな東さんに、そこまでして資格を取る意味を聞いてみた。「いま島内に資格者が5名おり、更に6名が直前まで来ている。屋久島にまとまった数の資格者が揃うと、島内で試験を実施できる可能性が出てくる。資格がすべてと思わないが、何かを変えるキッカケになるかもしれない」と。いまや屋久島の観光を大きな意味で支えるガイド業。次代を担う彼女たちが、そこに何か変化をおこしそうな予感がした。