屋久島ヒトメクリ.(6号)
わたしの大好きな屋久島の風景
第6回:民宿四季の宿尾之間
ゲスト:溝口健太郎さん 1973年千葉県野田市生まれ。30歳のときに屋久島へ移住。宿の若主人として、新しい屋久島の滞在についてアイディアを暖めている。
島の南部にひときわ目をひく円錐形の岩峰がそびえる。屋久島にあまたある山の中で「一番のお気に入り」と答える人は多い。山の名はモッチョム岳。地域の方言がその由来とされ、本富岳の字があてられる。民宿四季の宿尾之間はその本富岳の麓に広がる千坪という広大な敷地の中に4棟の建物が点在している。宿のデッキから本富岳を見上げながら「この宿はモッチョムに支えられているのです」と答えたのは宿の若主人である溝口健太郎さん。彼は自分が好きな屋久島の風景として宿からの景色を紹介してくれた。「尾之間の人間は、誰もみな自宅から見えるモッチョム岳に愛着を持っている。それぞれに皆こだわりがある」。それは、とりもなおさず「集落に対する愛情なのです」。確かに宿の敷地から見える本富岳の山容は見事だった。
溝口さんは千葉県野田市の生まれ。埼玉県との県境にあるその地は自然豊かで、子供のころは近くの川でザリガニや魚を採って遊んだ。社会人になって最初の就職先は東京都内。港区にある会社まで、電車で2時間かけて通った。ある日満員電車に乗っているとき、見知らぬ他人がピタリと身を寄せ両隣に座っていることに「突然激しい抵抗」を感じた。「なにかがおかしい」と。その後山形県へ移り住み、5年間のサラリーマン生活を送る。そして30歳の年に屋久島へ移住した。
移住のきっかけはこの地に一足先に移り住み民宿を始めたご両親に誘われたこと。自分もいつかは屋久島へゆく予感はあったものの、生活の不安などからもう少し先のことだと考えていた。しかし「ダメならダメで」と移住を決断してから既に8年。この地で妻の聖子さんと結婚し、一女一男に恵まれた。いまは「もっと早く来れば良かった」と思うくらい地域の生活を楽しんでいる。
そんな溝口さんが最近考えていること、それは「宿の敷地内で水力発電を試してみる」こと。震災に伴う原発事故以来、「エネルギーについて真剣に考えるようになった」。また以前から、「不便」な時代の生活を再現した「体験型の宿泊ができないか」と考えていた。しかしイキナリ電気無しは極端なので、まずは一部の電気を自前でまかなうところから始めようと考えたのだ。「便利に慣れてしまった都会の人にも不便を楽しんで、『不便もいいじゃん』と言って貰える宿泊を提案したい。屋久島にはそれができる潜在能力があるのです」と。そういった溝口さんの瞳には既に自前の火が点いていた。民宿四季の宿尾之間に自前の明かりが点る日も、そう遠くないと感じた。