屋久島ヒトメクリ.(7号)
わたしの大好きな屋久島の風景
第7回 花山広場水場
ゲスト:真津昭夫さん 1955年福岡県生まれ。23歳のときに屋久島へ移住。目下最大の関心は「原生自然に対する理解を深めること」と語る。
島の西部から永田岳へ至る花山歩道の中ほど、標高1200m付近に屋久杉の美しい原生林がひろがり、花山広場の水場はその中心にある。そこにカメラを構えて向き合いながら、僕は真津さんにこの場所を選んだ理由を尋ねた。真津さんはゆっくりと森を見上げながら「原生の重要な要素の水がある場所だから」と答えた。
真津さんは福岡県福岡市早良区の生まれ。背振山の麓の自然豊かな場所で育った。集落には教会があり、兄に連れられて日曜礼拝に通った体験から神学の道を志した時期がある。しかし青春期にオールナイトニッポンの試験放送をキャッチする。時代はカウンターカルチャーの只中。東京から電波に乗って漏れ伝わるそのムーブメントは、違う方向から真津さんの心を揺さぶる。22歳のとき、雑誌に載った山尾三省さんのコラムに目が留まる。屋久島に新しいムラを作るというその呼びかけに応じ、翌年白川山へ移住。「カウンターカルチャーの最前線に身を投じてみたい」と思っての決断だった。27歳のとき結婚。その後農業の好適地として現在の恋泊に居を移した。34歳のとき、屋久島ガイド協会の設立に参加。以後独立して現在のガイドオフィスを主宰し、エコロジカル&スピリチュアルをテーマに、これまで多くのゲストに屋久島の素晴らしさを伝えてきた。また多方面のメディアに対するロケコーディネイトを積極的に手がけるなど活動の幅は広い。
そんな真津さんが最近関心を寄せているのが「原生」に対する理解を深めること。そもそも屋久島のインタープリテーションの核とは、その「原生の理解を深め、それを伝えてゆくことであり、原生との係わりを自覚するための装置として、エコツアーには可能性がある。その理解を深めることで、目の前で起こっている様々な問題を整理してゆくことができるのであり、そのためにも、相手のことを良く知り、そのうえで係わり方を考える必要がある」のだと。では、そもそも「原生とは何か?」と問えば「それは見ようと思わない人には決して見えないものであり、人は原生の縁にいて、お邪魔するくらいの係わり方こそ本来のあり方だという感覚がある。また原生は日常の中にも当然のように潜んでいる」と答えてくれた。
花山広場の水場でシャッターを切りながら、僕はこの写真に「原生」を写し込めようと念じてみた。果たしてそれが写ったかどうか?いまの僕に確信は無いが、今回の取材を通して「原生」は僕自身にとっても新しいテーマとなった。