写真集撮影秘話「神の舞台で Divinely Hidden」
写真集撮影秘話の第4回目は、P16で使った「神の舞台で Divinely Hidden」です。
その年僕はある写真コンテストへの応募を考えていた。応募要綱には未発表作品という縛りがあり、ほとんどの写真をライブラリーに入れていた僕は、その要件を満たすために新規の撮下し作品でそれらを構成することにした。そのために、白谷雲水峡のあの場所で、もう一度ヤクシカを待ってみることにしたのだ。「前回はチャレンジ初日に撮れた。撮りにゆけさえずれば、撮れない訳はない」僕がそんな風に考えたのは、その年の5月半ばのことだった。
それから僕の白谷通いが始まった。白谷雲水峡のこの場所〔かつて「もののけの森(’05年当時)」とか「もののけ姫の森(~’08年)」とか呼ばれていたが現在は「苔むす森(’11年)」になった〕にカメラを構えてヤクシカを待った。
しかし、白谷雲水峡は年々訪れる人が増え、この場所は特に人気が高い。人通りの多い昼間にここへカメラを構えていることはできない。僕は人の流れが途絶える夕方に白谷雲水峡までゆき、日が暮れるまでこの場所にカメラを構え、暗くなると白谷小屋へ撤収、翌早朝またこの場所へカメラを構え、ぼつぼつと登山客が登ってくる時間に山を下って家に帰るということを始めた。
小瀬田の自宅から白谷まで、毎日通うのにガソリン代も相当掛かるので、天気の良い日はバイクを使った。カメラザックを背負い、三脚はキャリアに括り付け、白谷線を上る。管理棟の職員に顔を覚えられてしまった。
そんなことを2週間ほど続けたが僕の目の前にヤクシカが現れることは無かった。あるひとつのカットの為だけにそれだけの時間を費やしたのだ。しかし撮れない。僕は更にもう1週間通ってみた。しかし撮れなかった。
こうして3週間ほど通ってみて、前回の撮影がいかに「幸運」であったのかを思い知った。こういう撮影は望んだところで簡単に撮らせて貰えるものではない。そこには何か「神がかり」的な別の要素が絡むような気がしてきた。
しかし、簡単に3週間通ったと書いたが、同じひとつの場所であるカットを狙って3週間待ち続けるということがどういうことか?これはやってみた者にしか分らない。想像と実践の間には100万光年もの隔たりがある。そして、四の五の言ったところで「撮れなければゼロだ」。撮りに通ったその過程を誰も評価などしない。それを撮影初日に撮ろうが、3週間通いつめて撮ろうが、そこに写った写真が全てなのだ。だから解決策はひとつしかない。「撮れるまで通うこと」。
僕は諦めることなく更に白谷雲水峡に通い詰めた。そして白谷通いが一月目を迎えようとしていたのその日の朝、終にヤクシカはそこに現れた。
ヤクシカは、森の左側から現れカメラを構える僕を横目で見ながら森の右側へと横切って行った。そのとき左の目で苔むした大岩の上に何枚か落ちているハリギリの葉っぱを確認したのだと思う。彼はその葉っぱを目指し、回り込むようにその大岩の上に駆け上がった。
信じられない光景が僕の目の前に出現していた。立派な角を持った大きなヤクシカが、その森の中心にある苔むした大岩の上に立っているのだ。森全体は朝のやわらかい光が左斜め奥から理想的に差し込んでおり、風景が立体的に浮かび上がっている。それはあたかも、アニメ映画「もののけ姫」の中で、アシタカが深い森のなかでシシガミを目撃するシーンを僕に思い起こさせた。
ヤクシカは目当てのハリギリの葉っぱを食べてしまうと向きを変え、ひょいっと大岩の上から降りてあっという間に森の奥に消えてしまった。それはほんとうにあっという間の出来事だった。しかし、僕のカメラの中には、そのときの写真がシッカリと残っていた。それは確かに僕の目の前で起こっていたのだ。
僕の人生において、あるひとつのカットを撮影する為だけに一月もの時間を掛けるということが許されるのは、きっとその時期しか無かったと思う。それは自分にとって本当に苦しく、そして幸福な時間であった。写真は、そうした自分自身の記憶と記録も同時にそこに封じ込め、残っている。
後日談だが、件のコンテストは残念ながら選外になってしまい結果を残すことはできなった。しかしこのコンテストの締め切りに向けて「風景と動物」というテーマで撮影したカットの多くが、僕の写真集の核を成している。あのコンテストへのチャレンジが無かったら、僕の写真集「屋久島」は、こんなに早くは出来上がっていなかった。締め切りを切ってがむしゃらにやる!ということが、時には必要なのだと僕は思っている。そしてやったことは無駄にはならない。
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