屋久島ヒトメクリ.(5号)
わたしの大好きな屋久島の風景
第5回:小田汲川河口
ゲスト:今村祐樹さん 1978年大阪府吹田市生まれ。24歳のときに屋久島へ移住。屋久島の里地に失われた森を再生することを目標に掲げ、既に具体的な活動に着手している。
島の南東部、太平洋に注ぐ小田汲川の河口にサンシンのやわらかな音色が響く。演奏者は今村祐樹さん、モスガイドクラブ・モスオーシャンハウスの代表を務める。その彼がいるのは河口にある花崗岩の大舞台。「なぜこの場所を選んだのか」の問いに「川と海が出逢う場所だから」の答え。「屋久島の魅力は、山があって森があって川があって海がある。そのすべてのつながりが感じられるところ」だからと。
今村さんは大阪府吹田市の生まれ。万博中央公園がいつものフィールドで、そこに秘密基地をつくって暗くなるまで遊んだ。大学で民俗学を学んだあと地元で働き、資金を溜めるとそのまま旅に。沖縄本島の周辺を巡り、ウミガメボランティアやダイビングなどをしながら宿を見て回った。沖縄からの帰り、船を間違えて志布志港に到着。時間つぶしに入った漫画喫茶で屋久島のガイドブックをみつけたことが屋久島と出逢うキカッケに。それまで見てきた沖縄のどの島とも違う「海から見える山の塊」は、今村さんに大きな衝撃を与えた。
屋久島とのファーストコンタクトから間をおかず、今村さんは移住を果たす。そしてネイチャーガイドの修行に入る。この時期、月に30日は山へ入った。そうしたがむしゃらな時間から見えたものもある。島の天候は安定しない。照る日もあれば降る日もある。しかしお客さんにしてみれば、その日が屋久島との一期一会なのだ。プロのガイドとして、「どんなときもゲストを楽しませたい」。そんな想いから「ものごとの良い面を見る」ようになって行った。
その後仲間と一緒にガイドオフィスを立ち上げる。そして結婚。夢中で屋久島と向き合う毎日の中、結婚式はなく仕事の合間に婚姻届を出しただけの形式的なものだったが、そうした積み上げの過程で、確実に自分の足場を固めて行った。そして現在はガイドオフィスと伴に、モスオーシャンハウスという宿泊施設を妻のあるはさんや仲間たちと一緒に営む。
そんなある日、宿周辺の草刈をしていると突然「ここも森なんだ」ということに気がついた。人間の都合で「これは雑草」と勝手な分類をしているが、その草がそこに生えている理由がある。草花に限らず樹木も然りで、いま里地にある森林はほとんどが人間の都合によって植え替えられているが、本来その場所にあったはずの「潜在植生」を調べてみたら、それは本当に豊な森だった。
今村さんはいま、「里に人の暮らしの要素としての森をつくりたい」というビジョンを描いて宿の周囲の森を本来の形に回復させるべく具体的な活動に着手している。「自然を守るという活動があるが、守るという発想はいつか疲弊する。その事例を幾つも見てきた。だから守るという発想を推し進めて『森をつくる』という発想に変えてみた。そのほうが絶対楽しいし、楽しくないと続かないから」と。
今村さんと話していると感じるのだが、とにかく彼には「気負い」というものが無い。一方、彼は自らが描いたビジョンをここまで具体的な形にしてきた。きっとこの里地に失われた森を再生するというビジョンも、いつのまにか形にしていることだろう。