写真集撮影秘話「神の視点 Heavenly View」
写真家大沢成二が2011年4月23日に出版した初の写真集「屋久島」。その撮影秘話を少しづつ書いてゆこうと思います。第1回はP34-35の見開きで使用した「神の視点」です。
2007年5月17日に僕は妻を伴って屋久島へ移住を果たした。その目的はズバリ「屋久島の写真集」をつくること。僕はそれを概ね3年で仕上げるという具体的な目標を掲げていた。そしてそれを度あるごと公言してきた。目標というのは公にしないと達成できないと思っていたからだ。
そしてまた、僕の中には明確な写真集のイメージがあった。ゴールイメージが不明瞭だと、それもまた形にならないと思っていたからだ。そして僕は本の中にぜひ1カットでいいから、屋久島を上空から撮ったものを盛り込みたいと考えていた。屋久島が「島」であるということを明示的に示すため、それはどうしても必要だと考えたのだ。
だから移住直後に空撮についてリサーチをした。それを撮るためにはどの程度の費用が必要なのか?どのような方法があるのか?ということだ。幾つかのルートをたどって具体的な情報を得た僕は、特に手持ち資金の中からそのための予算を別にして、それは「空撮用」として保管することにした。いざチャンスが巡ってきたときに、予算不足でそれが実行できなくなることだけは避けたかったからだ。
それからの3年間、僕は屋久島に住みながら、どの季節に空撮を実行するのがベストなのか?島の天気を観察し続けてきた。そして僕なりに「5月連休の前後にチャンスがありそうだ」との結論に達し、2010年の春、いよいよその実施に向けて準備を始めた。
しかし、2010年の春はそれ以前の3年間のデータがまったく役に立たない不順な天候が続いた。特に春先は黄砂が酷く視界が利かなかった。天気は良いのだが、上空から屋久島を撮影することは絶望的だった。そして流し(梅雨)の季節に入ってしまった。
ちょうどその当時、春先に第一子を身ごもった妻も酷い悪阻に苦しんでいた。屋久島徳州会病院への入院を繰り返すほど重い悪阻で、頼る人の少ない離島の地で僕は段々と撮影に出掛けることもままならず、妻のお腹に宿った小さな命を見守りながら、空撮のチャンスを待ち続けるという日々が続いていた。
2010年の7月、8月の屋久島は、やはり不順な天候がそのまま続いた。気温が上がらず、やたらと湿度が高い。本州では猛暑だったらしいが、屋久島はスッキリしない天気がぐずぐずと続いていた。妻の体調も一進一退。後に自らがそのときを「要介護状態だった」と振り返ったが、まったくその通りで、僕は妻の体調を気遣いながら、ひたすら空撮のチャンスが訪れるのを待った。
そして9月。僕はスケジュール的に少し追い込まれていた。9月の末から雑誌の取材日程が入っており、それが終わると長野県への帰省が迫っていた。マスト条件として9月20日前後には空撮を終了させている必要があった。
天候的には多少の好転がみられ見込みが立ってきていたが、空撮は、天気と飛行機会社の予定、自分の予定が揃わない実施できない。また屋久島空港は朝の8時半からしか離着陸が出来ないのだが、この時期8時半から9時半の1時間というのが一番雲のあがってくる時間帯なのだ。そして飛行機は宮崎から1時間掛けて屋久島まで飛んでくる。つまり天候判断を下すのは当日朝の7時半の時点。飛行機が宮崎を立った時点で上空に雲が無くても、到着までの1時間に島全体が雲に覆われてしまうということが、それまで何度も確認されていたのだ。
僕は少し弱気になっていた。飛行機が宮崎を立った後にもし雲があがってしまい、空撮が実施できなくても、往復の航空運賃はチャージされてしまう。これはいわば「賭け」のようなものなのだ。そして掛かる費用は半端なものではない。「本当に写真集の中に空撮が必要なのか?」僕は根源的なところに立ち戻って考え込んでしまった。
そんなときにまた妻が体調を崩して屋久島徳州会病院へ入院した。妊娠が分かってから3度目の入院だ。このときは夜中に酷く苦しんで、慌てて僕が車を病院まで走らせた。色々なことが重なり僕は余裕を失っていた。そして体調の落ち着いた妻に空撮のことを相談した。「スケジュール的にも状況的にもタイトになっている。果たして空撮が本当に必要だろうか?その分の予算を生まれてくる子供のために振り替えた方が有効なのではないだろうか?」というようなことを。すると妻は少し考えてからこう答えた。、「(空撮を)やるやらないはあなたが決めることなので、それに対して色々言わないけど、後悔だけはしないでね」と。
僕はその妻の言葉で覚悟を決めた。そうなのだ、結果がどうであれ、当初から思い描いていた撮影を実施しなかったら、僕は必ず後悔する。それだけは間違いの無いことなのだ。
そして運命の2010年9月21日。その日屋久島は高気圧にスッポリ覆われ早朝から好天だった。僕は永田橋まで車を走らせ奥岳の上空に雲が無いことを目視で確認すると、飛行機会社に「GO」の電話連絡をして、そのまま屋久島空港まで走った。しかし飛行機が到着するまでの1時間、やはり雲は徐々に沸き始めていた。僕は祈るような気持ちで飛行機を待ち続けた。
屋久島空港の上空に、飛行機の白い羽がキラリと太陽を反射して輝いたそのとき、僕は一人で歓声を上げてしまった。「いける!」未だ雲の上がり方はそれほどではない。着陸したパイロットと短い打ち合わせを終え、一気に屋久島の上空へ駆け上がった。雲が、北西方向から筋を引くように流れてきている。いつも旅客機から見ている視点とはまったく違う角度から見る屋久島。永田岳の上空から主峰宮之浦岳を望む。僕は夢中でカメラのシャッターを切った。
神の棲まうといわれるこの島を上空から俯瞰する。それは当に「神の視点」を得た気分だった。そしてその時の気持ちがそのまま写真のタイトルになった。
空撮については、写真集にもう1カット盛り込みましたので、続きはまた書きたいと思います。ちなみに写真タイトルの英訳は妻と、その友人である江上泉さんが担当しています。
「神の視点」の英訳は当初「Overlooking from the Heavens」だったのですが、写真を全面見開きで使った関係で、和文と英文が1行で併記されるレイアウトになり、短い英文が必要になったので、「Heavenly View」が採用されました。個人的は「Overlooking from the Heavens」が俯瞰するというイメージで好きだったのですが、「Heavenly View」は短く言い切っている感じが潔いと思って採用しました。
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