蒼い縄文杉
撮影日:2009年1月27日
撮影データ:NikonD700+12-24mm F4.5-5.6 EX DG/HSM(焦点距離12mm)
ISO200 F11.0 露出補正 +0.5 2.0sec 三脚使用
今年一番の寒波到来というニュースを耳にして、22日から山行した。高塚小屋をベースにしながら、雪の森を撮影してまわる。冬の間、避難小屋で誰かと同宿になることは少ないのだが、今回は三人の方と一緒になった。
22日の晩は中部地方から屋久島を訪れているKさん。百名山行脚の途中だという。今回は南九州の三座を予定しており、韓国岳(ついでに高千穂も)、開聞岳をつぶして宮之浦岳を踏みに来た。淀川へ抜ける予定だったのだが、想定以上の雪に見舞われ、空荷で宮之浦岳だけ踏んで楠川へ下るように予定変更した。
23日の朝、僕も平石岩屋まで偵察に出掛けたのだが、高塚小屋から上、未だ50cm以上雪が残っており、稜線は猛吹雪。結局Kさんは途中で宮之浦岳を断念して下山したらしい。小屋へ帰ると、その旨の丁寧な書置きが残っており、既に荷物が無かった。
23日の晩は大分から来た別のKさんと同宿になった。年齢を聞くと20代前半だというが、とても落ち着いた物腰で、人あたりも柔らかい好青年。この年代の登山者の中には、かなりいい加減な装備で冬季に入山する人を見ることもあるが、彼はキチンとした装備を持っており、山に対する考え方も謙虚で、話していてとても気持ち良かった。そして教えられることが多々あった。夜半から20cm程度の新雪があり、真っ白になった登山道を、翌朝彼は下って行った。
25日の晩は鹿児島から来たNさんと同宿になった。Nさんとは写真、カメラの話題で盛り上がった。本来写真やカメラに詳しい人同士の会話というものには危険な匂いがつきまとう。写真やカメラなんてものをやっている人種の多くは、妙なところに独自の拘りがあり、「相手の価値観を否定してでも、自分の価値観を押付ける」という傾向の人が多い。しかしNさんは違った。自分の立脚点は明確にしながら、相手の価値観をキチンと受容れることの出来る人だった。それでいて拘りは人一倍持っているし、とにかく写真やカメラのことを良く研究していて話題豊富。こんな風に自由に、深いところまで誰かと写真やカメラをテーマに語ることができるのは、本当に得がたい体験だった。26日の朝、Nさんは天候の回復しない稜線をあきらめて、やはり楠川の方へ下って行った。
今回の撮影山行で、僕はとても重要なカットの撮影に望んでいた。先回、10日~17日の山行でも、何度かそれにトライしたのだが、未だに納得のゆくモノが撮れずにいた。
それは雪を絡めたカットだったのだが、寒気は26日の午後から急速に緩み、段々雪の状態が悪くなり始めていた。持っても27日の午前中が精一杯だろう。それでも僕は希望を捨てず、チャンスを待ち続けた。根拠は無いのだが、なんとなく撮れるような気がしていたのだ。ここまで、三人の同宿者からとても良いプラスのエネルギーを貰うことが出来、僕の精神状態が、とても良かったからだ。
そのチャンスは26日の16:00過ぎに訪れた。僕はカメラを構えて、理想の状態になるまで30分以上風景と対峙した。もう30分遅かったら、光が足りなくなり、それを写すことは出来なかったのだが、本当にギリギリのところで、僕はシャッターを切った。そのカットはいずれどこかで発表するが、今回同宿になった、三人の方のプラスのエネルギーが僕に作用して撮らせてくれたカットだと思っている。本当に感謝している。
27日の朝、高塚小屋を後にして、縄文杉デッキへ寄った。朝日は差さなかったが、代わりに蒼い光が縄文杉と周囲の森を染めた。僕は今回の山行を締めくくる意味で、カメラを構え、静かにシャッターを切った。
四の五の言ったところで、どんなに苦労しようが、身を削ろうが、撮れなければ結局0だ。しかし、撮るためには、明確なイメージ、キチンとした技術的な裏付け、そして「撮るんだ」という強い意志の力、それともう一つ、良いエネルギーを自分に呼び込んでくる運の強さ、が大切なのだ。それを今回の山行で改めて確認した。 今回僕にその良いエネルギーをもたらしてくれた三人の同宿者に、とても感謝している。