大沢成二写真展 デジタルで撮った屋久島
2003年10月、2005年6月、2006年7月、3度訪島で撮影した屋久島の風景をお届けします
屋久島とは
屋久島は、九州最南端の佐多岬から南に約60km、面積約500平方km、周囲約130kmというほぼ円形の島であり、島の中心には、九州最高峰の宮之浦岳(1936m)を頂点に1800m級の山々が聳え、さらに1000m級の山々がその周りを取り囲んでいます。
黒潮の海に急峻な山塊となって浮かぶ屋久島は、「洋上アルプス」の別名を持ち、南国の強烈な太陽に温められた水蒸気は、垂直に切り立った山肌に沿って上昇し、山上に雲をおこし林芙美子が浮雲の中で「一月に三十五日は雨」と書いたように、多量の雨を島に降らせます。
この急峻な地形と多量の雨が、樹齢1000年を越える屋久杉が茂る深い原始の森をはじめとする、多様性豊かな植物世界をつくりあげ、屋久島は、日本有数のブナ林を誇る白神山地とともに、1993年に日本で初めて世界遺産として登録されました。
写真展
よく、「屋久島を訪れると人生が変わる」という話を聞くが、これは本当のことだ。2003年10月、宮之浦岳登山を目的に初めて島を訪れた僕は、そこで人生の大きな転換点を迎える。
屋久島行きは当時一緒に暮らしていたパートナーの強い希望でもあり、当然島へは2人で渡ったのだが、島に10日ほど滞在するうち、(それが一体何なのか今もって良く分からないのだが)僕たち2人はそれぞれの核心に近い部分で、それぞれ別のスイッチを入れてしまった。そう、お互いに相手の体の中でそのスイッチが入る「カッチ」という音をはっきり聞いたのだ。
島から戻ると彼女はそのまま旅に出てしまい、その後の消息は知らない。僕は屋久島をテーマに撮影することを決めて、そのための準備に動き出した。しかし、2回目の訪島が2005年の6月と、そこまで20ヶ月の時間を要したことが如実に物語るように、僕の屋久島への道は順風満帆ではなかった。
人が何かに強くコミットして動き出すと、途端にそれを引き戻そうとする力が働く。本の受け売りだが、「人は、身近な人間の変化を無意識に恐怖として捉えるから」だそうだ。
そのことに最初は気づいていなかったが、屋久島へ向けての20ヶ月間、それは僕にとって「人間関係を整理する時間」だったように思う。道徳の答案だったら間違いなく0点だろうが、僕はかなりドラスティックにそれを実行してきた。だから、いま僕の周りにいる人は、ほとんどが僕の無謀ともいえる取り組みを応援してくれる人ばかりだ。
この写真展にしてもそうだ。ある日友人の川村実が1通のメールを送ってきた。そのメールにはこう書いてあった。「写真展の会場を押さえました。日程は以下に決定しました」と。写真展が決まってしまったので、僕は慌てて3回目の屋久島行きを実行したのだ。
写真展に「デジタルで撮った」とあえて謳ったのは、僕は写真という分野のほかに、ネットワーカーとしての顔を持っている。いわゆるインターネットの住人というやつだ。ネット・デジタルは僕の得意分野なのだ。
安曇野高橋節郎記念美術館のホームページに僕のことが、「松本市在住の写真家」として紹介されていた。僕は正直困った。僕は色々な理由があって「写真家」という呼称を避けていたのだ。そんなとき、友人の多田紳也さんが僕に言う。「依頼されたわけでもなく、プライベートで撮影した写真で個展を開くンでしょ。そりゃ写真家でいいじゃん」と。
僕はその言葉に背中を押されて一度は「写真家」の呼称に許可を出した。しかし、一晩寝て起きて、やはりどうも腑に落ちない。そんなとき、参加しているSNS mixiに「紺」さんという方から初めてのメールが届く。その方は僕がネットに載せていた屋久島の写真を見てメールを送ってきてくれたのだ。メールにはこう書かれていた。
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写真は屋久島だったんですね
きれいー。
色んなところに行きたい欲求はあるのですが
なかなか不自由で・・・。
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そのコメントを読んだとき、僕の心の奥の方でまたあのスイッチが入った。そう「カッチ」と音を立てて。
写真家の使命が何なのか、分かったような気がしたのだ。
僕にとって屋久島は過去3回の訪島で、総滞在日数は42日を超えた。 島に入ると何の躊躇もなく行きたいところにいける。それはまるで、隣町に車で遊びに行った感覚だ。
しかし、誰でもが簡単に(僕だって簡単ではないけどさ)屋久島に行ける訳ではないし、僕が見たあのすばらしい風景との出会いを、誰でもが簡単に体験できるわけではない、ということに、僕は本当に突然に気がついた。 だから「写真家」という職業が存在するのだ、と。
写真家の使命、それは容易に体験し難い、素晴らしい風景との出合いのエッセンスを、写真という手段で持ち帰り、それを求めている人に見せて、夢をみていただくこと。まだ漠然としてまとまっていないが、僕がいま感じていることを精一杯表現すると、つまりはそういうことだ。
それが写真家としての使命なら、僕は「写真家」を名乗ろうと思う。堂々と。今回の写真展は、写真家 大沢成二 として初の展示会です。どうぞごゆっくり御覧ください。
Special Thanks!
案内葉書作成 :エムデザイン 宮川卓朗 (0263-34-2631)
案内ボード制作:有限会社 エスメディア 下平訓立(0263-86-1141)
B2版出力 :富士山印刷 中西雄介 (093-222-3921)
旅の間、mixiのコメントを通じて孤独な僕を応援してくれた、マイミク なばさん、よるかさん、やまやさん、がりさん、Na★☆さん、Bluemt.11さん、Tすくさん、みのじさん、たださん、紺さん、dokinさん、旅先で出会った、ネイチャーガイド真津昭夫さん、屋久島で出会った全ての友人、僕の屋久島の女神なっち、そしていつまでも夢から覚めない僕を黙って応援してくれている、両親、兄弟、今日写真展を見に来てくれたあなたに、いま僕はとても感謝しています。
どうもありがとう。 2006年8月 大沢成二
作者連絡先:http://f32.jp