プロフィール
大沢成二 略歴
1967年6月 長野県松本市生まれ
長野県立松本蟻ケ崎高校卒業
高校卒業後、プロのミュージシャンを目指して友人4人でロックバンドを組むが、バンドは1年で空中分解。
すぐに上京し、東京・赤坂のスタジオで広告写真を学ぶ。コマーシャルフォト誌の主催する月例コンテストで入選するなど写真の腕を磨く。
1989年帰松し、写真の世界から離れ、家電メーカー系のOA機器販社で技術系のサラリーマンとして働く。
1999年独立し、インターネット系のサービス会社 合資会社あずみ野ネット設立。同時にフリーカメラマンとしても活動をはじめる。
2003年 宮之浦岳登山を目的に、初めて屋久島を訪れ、屋久島を自分の撮影テーマに設定する。
2005年 2度目の屋久島訪問、秋に大名町のストリートギャラリーでミニ展示を行う。
2006年 3度目の屋久島訪問、安曇野高橋節郎記念美術館で初の写真展を行い、同時に写真家宣言を行う。
写真と登山
写真撮影と登山は父親である大沢宗雄の影響が強い。家にはNikonF2,F3からはじまってリンフォフ4×5までさまざまなカメラがあり、幼少より父親の専属助手として撮影に同行していた。
また大沢宗雄は2002年に日本百名山の完全踏破を果たし、百名山100番目の山である宮之浦岳のことは毎日のように父親から聞いており、僕が屋久島に出会う一つのキッカケになった。
信州に住みながらなぜ屋久島?
「どうして信州という観光地に暮らしているのに、あえて屋久島?身近にいい被写体はいくらでもあるでしょう?」 という質問を良く受ける。あらかじめ回答しておきたい。
被写体やテーマ選びというのは「恋愛」に例えると分かりやすいと思う。
身近に条件が良く見栄えのする相手がいるからと言って、その人のことを好きになるわけではない。たまたまそこに行ったときに出会ってしまったのだ、自分の相手に。つまり、僕にとってその相手というのが屋久島だったのです。
それに、恋愛は遠距離の方が燃えるもの、だと思いません?
つまりはそういうことだ。
しかし屋久島は遠い
いま僕は3年くらい屋久島に腰を落ち着けてじっくり撮影をやってみたいと思っている。
どうしたらそれが実現できるのか?
毎日考えている。
連絡先: http://f32.jp